2003年11月22日土曜日

プロの仕事とは何か

東京ディズニーリゾートにないもの

独り勝ちの東京ディズニーリゾート。2位のユニバーサルスタジオジャパン(USJ)が不祥事でこけたこともあって、他の遊園地やアミューズメントパークとの格差は開く一方だ。

★主要テーマパークの入場者数(月刊レジャー産業 2003/7)
施設名 入場者数
2002年 2001年 前年比
東京ディズニーリゾート 24,820,000 22,047,000 112.6%
USJ 7,637,000 11,000,000 69.4%
ナムコ・ナンジャタウン 1,970,904 1,150,129 171.4%
サンリオ・ピューロランド 1,325,000 1,387,000 95.5%
志摩スペイン村 1,860,000 1,840,000 101.1%
倉敷チボリ公園 1,162,000 1,340,072 86.7%
東映太秦映画村 1,032,000 1,096,000 94.2%

何故東京ディズニーリゾートだけが客を集められるのか。すでにいろんな方面から語り尽くされた感があるこの問題を、今回は少し別の側面から考えてみよう。

まずは逆説的なクイズをひとつ。東京ディズニーリゾートになくてその他のアミューズメントパークにあるものとは何だろうか。

それは園内を回遊する乗り物(シーサイドトレインとかそんなやつだ)に乗ってみるとすぐに気づくことだが、廃材だとかホースだとか裏方の小道具大道具が放置された光景だ。東京ディズニーリゾートにはこんなものは絶対にない。

どこのアミューズメントパークに行っても必ずこうした光景に出くわすから、きっとこれは普遍的なものなのだろう。いやむしろ東京ディズニーリゾート以前にはこれが普通の光景だったのかもしれない。昔の遊園地ならそんなところまで気を使わなくても、しょせん子供相手だったからだ(同じシーサイドトレインに乗っていても子供はまずそんなところは見ていない)。だが東京ディズニーリゾート以降、もうそうはいかなくなった。もはやアミューズメントパークの客は子供ではなくなったのだ。大人を満足させること、大人にもう一度来たいと思わせること。そうでないと大人たちは二度と子供を連れてきてはくれない。

今では、塵ひとつ落ちていない園内や絶対に舞台裏が見えないアトラクションはもはやアミューズメントパーク運営の最低限の必須事項だ。そのうえで何が提供できるかが勝負なのだ。

いまどきアミューズメントパークを運営しようとするなら、その幹部はまず一度や二度は東京ディズニーリゾート詣でをしているはずだが、いったい彼らはどこを見て、どこを学んでいるのか。アトラクションに圧倒されて「ウチの資金力ではここまでできませんわ」とあっさり尻尾を巻いているのか、ミッキーやドナルドを遠巻きに眺めながら「あんな強力なキャラクターがいればなあ」とため息をついているのか。もしくは「あれより高く、あれより早いアトラクションをつくれば勝てる」と密かにほくそ笑んで帰っていくのだろうか。いずれにしても、表面の華やかなところにばかり気をとられ、結果として物理的なモノにばかり注目していては学べるモノは限られている。

昔風に遊園地と言おうが、今風にアミューズメントパークと言おうが、または少し趣をかえてテーマパークと言おうが何も変わらない。要は客をいかに楽しませるかがポイントであって、客が我を忘れるくらい没頭する時間をどれくらい提供できるかが勝負だろう。

その勝負のさなかに舞台裏が見えてしまっていいはずがない。

通路に放置されたマネキン

舞台裏と言えば、先日こんなことがあった。

とあるファッションビルのとある国産有名ブランドのショップ脇を家族とともに通り過ぎようとしたときのことだ。そのショップの店頭ショーウインドーには、親子4人のマネキンが厚手の衣装を着て並び、これから来る季節の雰囲気を醸し出していた。

ところが、それを眺めながら脇の通路から裏手に向けて歩き過ぎようとしてふと見ると、薄暗がりの中に今見たのと同じようなマネキンが4体裸で立っていたのだ。なかば気味悪く、なかば滑稽なその光景に、一緒に歩いていた子供たちはキャーキャー言いながら騒いでいたが、とても有名ブランドのショップ脇とは思えなかった。裏手とはいえそのファッションビルの一般通路上での話である。

これらの話から今回ぼくが話題にしたいのは、「プロの仕事とは何か」ということだ。

「プロの仕事」を考えるときにひとつの基準となるのは、そこに客は何を求めているか、ということだ。つまりそのサービスや「場」は、客の生活にとってどんな役割を担っているかという話だ。

言うまでもなく、アミューズメントパークもファッションブランドもその役割は「ハレ」にある。前者は日常の外で夢を見させ、後者は日常の中でちょっとしたいい気分を提供する。プロならばその役割を徹底して追求し、徹底して果たさなければならない。

逆にそれができれば一流への第一歩は踏み出していると言ってもいい。それくらいこの世界でプロに徹している例は多くない。

今度はまったく異なる分野の例をあげよう。近くのGMSの食品売場でよく遭遇する風景だ。

夕暮れどきでなくても食品売場というところはいつも混んでいる。まっすぐに目当ての売場に向かうひと、思案しながら歩くひと、売り場の前で決めかねているひと、いろんな客がほとんど一方通行の(広さしかない)通路ですれ違う。

それだけでもどうかと思うのだが、そこをまた店員が平然と台車を押しながら通って行く。どいてやったところで何にも言わない。また別のコーナーに行くと、別の店員が商品の補充で棚の前にでんと陣取っている。一品一品確かめては入れ替えたり、補充したりしているのだが、その動作はとても緩慢だ。そばで客が商品を手に取りたそうにしていても特に気づく風でもない。そうこうするうちに客はあきらめて他の売場へ行ってしまう。

ひとはGMSに何を求めるか

GMSは東京ディズニーリゾートともファッションブランドとも違う。いまさらGMSの食品売場にハレを求めるひとはいないが、しかしそのかわりに求められているのは効率性と確実性だ。

ひとはデパ地下やドンキホーテにトレジャーハンティングにでかけるかもしれない。だからその売場はいつもごった返していて、歩くのもままならなくてもかまわない。売場が効率的に並んでなくてもかまわない。むしろ迷路のように錯綜している方が宝探しの旅はたのしくなる。しかし誰もGMSで掘り出し物を見つけようなんて思わない。ぼくたちはそこで日常の買い物をしたいだけだ。日常の買い物だからできるだけ手間もお金もかけず済ませたいだけだ。それを提供するのが現在におけるGMSの食品売場の役割である。

客にもっと効率的に、もっと確実に買い物をしてもらうためには何が必要なのか。品揃えなのか、安さなのか、買いやすさなのか。品揃えも安さも追求しなければならないが、それらはもはや当然のことだ。それよりも、もっと機能的な売り場の配置はできないのか。客と従業員が交錯しなくてすむようなレイアウトはないのだろうか。買い物空間と従業員の作業場が重ならないような工夫はないのだろうか。

繰り返しになるが、プロの仕事をするとはそういうことだ。客は誰か、その客が何を(それは必ずしもモノではない)求めているかを知ること、そして求められているものを提供することにすべての努力を傾けることだ。それは経営の問題、マーケティングの問題というよりは、教育の問題だと言うべきかもしれない。だが、そうだとすれば話はむしろ逆で、経営やマーケティングにおける教育の重要性が今かつてなく高まっているということではないか。有名なマーケティングの4P(Product, Price, Place, Promotion)も最近ではPersonを加えて5Pと呼ばれている。

ランチタイムのビジネス街では、配慮の足りないウェイター(ウェイトレス)の応対にいつも誰かが憤っている。TSU●AYAの店員の質の悪さに頭にきているひとは一人や二人ではない(それでいて競合のほとんどないTSU●AYAは今のところ圧倒的優位を保ちつづけているが)。モノの品質はほとんど均質になった現在において、モノからサービスへの流れは言うまでもないが、人々の気持ちはモノやサービスの提供のされ方に重心を移しつつある。

アミューズメントパークはもはや子供の満足を買いに大人が我慢して行くところではない。そこはすでに親自身の満足を買いに、また子供の満足を買うその過程を楽しむ場所となった。海外高級ブランドは別として、一般大衆の日用品にまで降りてきた有名ブランドは、もはやブランド「品」を買うところではなくなった。ブランド品にしては手ごろな価格とともに、ちょっとだけ上級の日常を楽しむ商品を手に入れる場所へ、そして多くの場合手に入れる行為そのものを楽しむ場所へと変貌した。

商品が勝負を決めるのならそこに介在する人の役割は薄い。だが、勝負を決めるのがサービスでありサービスのあり方となれば、それは100%人の問題であり、人がつくるしくみの問題だ。今多くの「場」でそうした大きな変化が起こっているが、にも関わらず人々は今もなお、店はモノを売るところであり、遊園地は乗り物に乗るところだと思っている。だからこそ教育が重要になる。

ブランドイメージより大事なもの

今回あげた3つの例のうち、前の2つは単にブランドマネジメントの問題と読みとることもできる。しかしその観点からだけ捉えていると、自然と客の視点に意識が及ばなくなる。ブランドマネジメントとはある種パーフェクトな世界を作り上げることであり、その実行にはかなりの困難を伴うのだが、それゆえ往々にして客の気持ちが置き去りにされてしまいがちになるからだ。送り手だけで完璧な世界を作り上げてしまい、客が入ることによってそれが崩れてしまうということが起こる。

先日もこんなことがあった。特別ブランドマネジメントとは縁のない普通のレストランでの話だが、店に入って仲間5人とテーブルについた。6人掛け(と見えた)のテーブルだったので、最後の一人が隅っこを空けるかたちで詰めて座った。ところが年輩のウェイトレスがやってきて、こちらにお座りくださいと隅っこの席を指さす。見ると確かにテーブルセッティングは真ん中の席をはずして隅の席に施されている。真ん中の席は、紙ナプキンだとかテーブルソルトだとかの置き場となっているらしい。仲間はおとなしく隅の席に移ったが、何故すでに座った客をわざわざ移動させる必要があるのか。たぶんウェイトレスにとっては、テーブルセッティングがすべてに優先するのだろう。ブランドであれ何であれ、決められた秩序を「完璧に」守り抜くことを優先させるとこうなる。

だからこそ、ここはプロとは何かという問題として、それを意識づける教育の問題として捉えたいのだ。何のためのブランドイメージなのか、何のためのテーブルセッティングなのかということだ。

繰り返しになるが、ぼくたちはまず客の期待は変わりつつあるということを知らなければならない(しかしそのことはぼくたち自身の日常を振り返ってみれば誰でもわかることだ。誰だって遊園地に行くし、服を買うし、食品売場にも出かける、そこで店員の対応に腹をたてたり、単に行かなくなったりする)。そのうえで、客の気持ちを読みとることができ、客の期待に応えようとする意識を持ったプロを増やすことが必要だ。もちろん接客だけが問題なのではない。接客も重要な要素として含んだ客との接点のすべてをもう一度見つめ直してみること(たとえば遊園地のホースやGMSの店員が押す台車やレストランのテーブルセッティングなどだ)。そしてそこからプロのサービスを自社の標準として育てていくこと。そのことを遊園地運営会社とブランドショップ、GMS、そしてその他のすべての企業はよく考えなければならない。

そしてその方法論については、やはり東京ディズニーリゾートに学ぶべきことがたくさんあるのだろう。